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  • 『重度障害者』の介護に入っていただけませんか?

    『重度障害者』の介護に入っていただけませんか?

     私は京都市のある地域で一人暮らしをしている、“重度の身体障害者”です。

     進行性筋ジストロフィー、という身体中の筋肉が動かなくなる難病のため身動きに重い障害があり、車イスでの移動など日常生活のあらゆる動作に介護が必要です。健常者の介護が無ければ食事も排泄もままならず、人としての日常生活が送れません。

     介護の主な内容を挙げますと、

    1、車椅子で出かける時の“外出介護”

    2、食事介助や排泄時での“日常介護”

    3、夜から朝の“泊まり介護”

     などです。

     私はこれらの介護を大学生・社会人を問わず、様々な立場の人たちに介護に入ってもらいながら日常生活を十数年送り続けています。とくに京大生の介護者との関わりは長く、介護を通じて障害者と介護者の間でしか生まれ得ない、一風変わった人間関係を作ってきました。

    『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(映画 2018年)

    という、私と同じ筋ジストロフィーの人の自立生活をモデルにした作品がありますが、私の生活も多少の差こそあれ、その映画で描かれている内容に近いものです。

     ただ、ここ数年、介護に入ってくれる学生さんが少なくなっており、非常に危機感を持ってこのお願いを伝えています。

     新入生の皆さん、どうか私に力を貸してもらえないでしょうか?

    湯口 真(ゆぐち まこと)☆
    ☆ 連絡先:090-5362-4045 ☆

    ※はじめは、既に介護に入っている寮生の人と一緒に、実際の介護の様子を見てもらうだけでも大歓迎です。よろしくお願いします。

    2021年春

  • 介護者募集

    介護者募集

    文責: gkm

     以下では、私がなぜ介護をはじめたのか、介護に関わらせていただきながら何を考えているのかについて書きたいと思います。時間がなければ、ここは読み飛ばして、湯口さんの文章を読んでください。

     私は、2017年1月から、湯口さんの介護をさせてもらっています。

     寝る(起きる)ための体位を取るのを手助けしたり、食事を準備したり、車いすに移乗して一緒に買い物に行ったり、トイレに行ったり、おむつの交換を手伝ったり、一緒にテレビを観たりと、日常の様々なことに介護者という立場から関わっています。

     介護のなかで、自分自身の無神経さや無知に気づかされることもしばしばです。そして、この社会はいかに健常者中心に設計されているか、ということも考えます。私は、健常者としての特権を持って生きてきたゆえに、知らずにきたことがたくさんありました。

     私が介護に携わるようになったきっかけは、2016年に起きた事件の後にありました。最近、公判が行われ、ニュースなどでも目にしたことがある方も多いかと思いますが、相模原の障碍者施設で、19名もの障碍者の命が植松聖という一人の人物によって殺されました。この事件のあと、サークルの先輩の誘いで、金満里さん(障害当事者で「劇団態変」というグループを立ち上げ、身体表現芸術で優生主義を問うてこられた方)の話を聞く機会があり、私は衝撃を受けました。金さんは、相模原の事件が起きたのは、今も社会が障碍者を見下す優生思想にどっぷり浸っているからだと喝破されました。施設を無条件で必要としているように、「いまだに社会は障碍者を脇に押しやる健常者中心的なものであり、日常的な介護でも感覚的に優生思想、健常者のペースでモノを考えて体を動かそうとする感覚や感性、価値観をとても感じる」とおっしゃっていたことを記憶しています。この話を聞いて、自分の中にも潜んでいる優生思想や自分の気づいていない健常者中心主義的な考え方・ふるまいに、実際に関わりながら向き合っていかなければならないと感じました。

     少し話は広がりますが、私は、大学に入って、金さんや湯口さんとの出会いなども含めて、さまざまな出会い・経験のおかげで、自分の持つ特権について考えるようようになりました。健常者としての特権のみならず、男性特権、日本人という国籍を持つ特権、などなど、を享受してはじめて、今こういう場にいて考えたり学んだりする機会に恵まれているということを、私は大学に入ってやっと明確に認識・言語化できました。高校までの教育課程や入学試験を経て大学という場にいることは、本人の努力が一つの要因ではあることは否定できませんが、決してそれのみで実現したのではなく、むしろそれ以外の多くの与えられた環境・資源などがあってこそ、のものです。

     そして、こうした自分の持つ特権について問われることもなく考えなくて済むことこそが、その特権性を証明しています。私は、駅や町中の段差の多さにうんざりしたり、介護者がいる時間に便をもよおすように睡眠や食生活を考えたり、泊まるホテルのトイレの仕様を事前に入念に確認したり、といったことせずに済んできたことを介護に携わりながら学びました。とことん社会は健常者中心に(そして、そのようなマジョリティ中心に)設計されていて、そのような制度の中で抑圧は不可視化されたりなかったことにされたりしたままです。それは、競争を煽られ負けたら、能力が足りない、努力が足りない、自己責任だ、と片付けられる息苦しい社会と一体です。

     金さんの講演を聞いた後、知り合いのつてで、湯口さんの介護に入らせてもらうことになりました。介護に関わるなかで考えることは、まだまだ言語化できていないこともありますが、今では私にとって、なくてはならないものになっています。

     この文章を読んでいるあなたも、ぜひ共に湯口さんの介護に関わりましょう。

     あなたの大学生活が、良き出会い、経験、学びに恵まれることを心から祈っています。

  • 超楽しいワクワクしばいゲーム

    超楽しいワクワクしばいゲーム

    文責:吉田寮しばい部有志

  • セクハラ対策特別委員会のページ

    セクハラ対策特別委員会のページ

    文責:セクハラ対策特別委員会

  • 吉田寮アクアリウム同好会

    吉田寮アクアリウム同好会

    文責 吉田寮アクアリウム同好会

    元茶室セイラ

    東大路素寒貧

    カーリヤ人

    設立の趣旨

    健康に生い茂った水草、色とりどりの熱帯魚。彼らが織りなす美しい水景は、果てしない自治闘争に疲れ切った我々の心を癒してくれる。

    地球に原始の海ができたのは今から43億年前と考えられている。海はそれ以来「水換え」がなされていない。絶妙な生態系バランスがそこには保たれてきたのである。

    我々アクアリストは水槽内に良好な環境を作り、さらに魚やエビなどの生き物を一緒に育てることで自然の生態系を再現することを目指す。

    時として水槽内の住民の負担は、たとえわずかな環境の変化でも、致命的なものとなりうる。
    我々アクアリストは、よき鑑賞者であるだけではなく、水槽という世界の管理人であることも忘れてはならない。

    自然界の動植物を人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、維持することは容易ではない。アクアリストが知恵を持ち寄り、力を合わせて管理しなければならない。

    そのため弊会は発足をした。

    来れアクアリスト。アクアリストの数だけアクアリウムの楽しみ方がある

    飼育中の生物

    オランダシシガシラ、タンチョウ、タガメ、クランウェルツノガエル、カスミサンショウウオ

    飼育したい生物

    ダイヤモンドポルカ、アミアカルヴァ、レインボースネークヘッド、アロワナ、ポリプテルスエンドリケリー、

    オヤニラミ、バトラクスキャット、オスカー、タイワンドジョウ、ディスカス、コウタイ、アシペンサーベステル、ダトニオ、メチニス、アユカケ、水生昆虫、有尾類、爬虫類  など

    連絡先

    yoshidaakudou@gmail.com まで