投稿者: 紹介パンフ作成委員会2021

  • からだのおしえ批判

    からだのおしえ批判

    文責:このからだ

    からだのおしえについてのメモ

    からだのおしえには教祖が2人いる。 ひとりはからだを信仰し、ひとりはそれを信仰と呼んだ。

    ある日、教祖になる2人は信仰について議論していた。 私は「人は信仰なしでは生きられない」という信仰のもと 無神教批判をしていた。 もう一人は信仰は必要なく、言葉ではなく体で分かるのだと言った。 私はそれを自分の信仰によって説明した。 これがからだのおしえの始まり。

    からだのおしえによると教祖の2人は神性を持たず、啓示も受けていない。 これは人間が神性をもつことを想像しにくい現代人にも 親しみやすい特徴になっている。 加えて、教祖や指導者の神聖視・権威の肥大化を食い止める効果もある。 一方で超越者による後ろ盾を持たないため、「いち凡人の言葉」を 信仰する必要があるという問題がある。 しかしこの問題は信仰の元を極弱い主張に還元し、 信仰を個人個人に創造させることによって解決されている。

    からだのおしえによると超越者は存在しているかも知れないし、 存在していないかもしれない。 これは他の宗教との親和性を高めている特徴であると言える。 からだのおしえを信仰するために他の宗教の信仰を棄てる必要はない。

    私はこれらの特徴の多くは新興宗教であることから生じている特徴だと 考えている。 過去の支持、伝統に裏打ちされた社会の信頼を持たない分、 時代にあった形をとることができるのである。

    からだのおしえはからだを健康にすることを推奨する。 では、からだが健康であるとなぜ良いのか? この答えはからだのおしえにはない。 では、からだを健康にするためには具体的にどうすればよいのか? この答えもからだのおしえにはない。 どちらの答えも信者にゆだねられている。 からだを健康にするために、教祖たちは12時に寝、8時半に起き、 朝の運動、朝食をとる等を行った (この文章を書いている時点で3週間ほど継続している。) だが、これはからだのおしえの示す唯一解ではない。 健康になるための方法は各自にゆだねられている。 他の信仰の助けを借りるのも良いかも知れない。 たとえば教祖の行動は常識信仰とでもいうべきもの に依拠していると考えられる。

    からだのおしえは宗教であると同時に、イデオロギーであり、悪ふざけである。 詳しくはもう一つの文章に書いているかも知れないし、そうでないかも 知れないが、ここでは触れない。

    からだのおしえで言うからだとは身体・精神二元論でいうところの 「身体」のことではない。 からだのおしえで身体性が強調されるのは 人間活動の身体性が軽んじられがちな社会で発生したからに過ぎない。 精神的活動として教祖達は一日の振り返りを毎日ノートにまとめ、 明日の目標を語った。

    現在はまだ教祖が修行している段階で教義も定まっていない。 よって、この文章はまだかっこ仮つきのものだと思ってほしい。 しかし、たとえ中途半端でも書くべきであったと思う、そして書いた。

    私はこれを読んでいる人がからだのおしえに入信してくれることを願っている。 吉田寮に入るかどうかとかはおいておいて、

  • からだのおしえ

    からだのおしえ

    文責:ひとつのからだ

    人間はその時々の状況における願望を言葉によって結晶化して主義主張にする。主義主張は言葉であるから、状況が変わっても残り続ける。だから、それに適合しない状況でもその主義主張が使用されることがある。これが言葉の限界である。

    言葉の限界はもう一つある。言葉は相矛盾する要素を正しく表現することができないということだ。「秩序」と「自由」を両方とも称賛する言葉は意味不明瞭なものになる。だから、言葉に従って主義主張を極めていくと、どちらかに極端に偏った思想を持つことになりがちである。

    近頃のネットを見ていると言葉だけに頼ったコミュニケーションの限界を感じる。立場の左右によらず、非常に偏った立場から激しい言葉が行き交っている。

    そのせいか、今の日本社会はクソ化している様に見える。いや、日本だけではなく多くの先進国の社会がクソ化している。そして今回のコロナ禍でそれが際立った。人々は様々な立場で分断され、血の通った人々の共同体は急速に無くなっている。誰もあたたかい未来を想像できない。

    あれもこれもそれもひとえに”からだ”を疎かにしたせいであると私は考える。

    人は言葉に従って生きている訳ではない。言葉は様々な物事について分析ができるが、最終的に判断を下すのは心であり、広義の”からだ”なのだ。正しい判断を下すためには、正しい心を持ち、正しい”からだ”を持たなければならない。

    そもそも、人のああしたい、こうしたい、という願望には根拠は言葉のうちには無い。よく考えればそれらがすべて”からだ”に源があることが分かるだろう。そして”からだ”は「いきいき」することを求めると知る。

    「いきいき」するためには健康が必要だ。だから我々からだの実践者は早朝八時半に起き、ラジオ体操をし、皆で朝飯を食うのだ。

    しかし、「いきいき」するためにはこのような個人的な努力では足りないことも多い。

    だから政治の最終的な目標はみんなが「いきいき」と暮らすことにある。

    「汝なすべし」「汝なすべからず」が権力によって上から押し付けられているとき、人はいきいきとは暮らせない。願望を実現することを妨げられているからだ。やがて革命が起こり人は自由を獲得する。しかし、人は完全なる自由のうちにあるとき、何をすべきかに悩み、人生の意義に悩み、いきいきとは暮らせなくなる。そしてそのような人生の意義を外部から与えてくれる教えを求める。時折、そのような教えは大きな流れを生み、新たなる権力となる。こうしてふりだしに戻る。

    以上のループのどこに間違いがあったのか。それは、人が何をすべきかについて悩んでしまったという点だ。そもそも人生には絶対的な意義はない。これこそが人生の意義だと見せかけていてもそれは言葉の問題であって、”からだ”に根ざしていないから、いつでも放り捨てることができる。人生の意義は任意に選んたものに過ぎない。

    じゃあ、人は長い人生の間何をしていけばいいのか。人はパンのみにて生くるにあらず。食って寝て起きる毎日では満足できない”からだ”なのだ。

    私はそもそも「何をすべきか」という問い方こそが間違っていると考える。人は「何をすべきか」ではなく、「何がしたいのか」という自分の欲望にこそ目を向けなければならない。

    言葉にずっと目をむけていると自分が何がしたいのか、わからなくなってくる。自分の欲望はそこには無いから。

    だけど、食欲や性欲や睡眠欲などの安易な欲望に身を任せても、自分を見失う。そこに自分は要らないから。

    なにかの中毒になっている人を「いきいき」しているとは呼べない。しかし、なにかに熱中している人は「いきいき」している。違いはその対象の中に自分がいるかいないかである。だから、我々は実存を震わせるような欲望を持たなければならない。

    以上のことをまとめると、

    • 人は「いきいき」することこそが幸せであり、そのためには健康であることが必要だ。
    • 加えて、健全な欲望がなければ人は自分自身を見失い、元気を失う。
    • だから、日常生活を丁寧に送ること、その中にこそ幸福の手立てがある。

    これがからだのおしえである。

  • 吉田寮公式サイトを移転するにあたって得られた知見

    吉田寮公式サイトを移転するにあたって得られた知見

    文責: 他称・吉田寮ネット担当大臣

    2020年のアタマ、私は吉田寮公式サイトを移転することに決めた。というのも、その当時の公式サイトは00年代で時が止まったような旧GoogleSite上に構築されており、レスポンシブデザインが実装されていないためにスマホで読みづらく、スマホで読みづらいがために検索上位に現れづらいようなものだったからだ。

    公式サイトを移転するといったってどんなサービスに移転させても良い訳ではない。寮生が納得するようなサイトにしなければ、前のサイトのほうが良かった、戻してくれなんてコトになる。移転するにあたっていくつか気をつけるべき点があった。

    これはわかりやすい。裁判費用などを捻出する必要もあり、吉田寮はただでさえ金が入り用なのに、どでかいレンタルサーバーを借りる訳にもいかない。もともと無料のサービスでやっていたのだから有料というだけで寮生の心理的ハードルは高いだろう。

    広告

    これから作るサイトは公式サイトなのだから、変な広告が表示されては困る。変でない広告も嫌がる寮生はいるだろう。これで、多くの無料レンタルサーバーは選択肢から消えた。

    編集の容易さ

    公式サイトはスキルゼロの寮生であっても編集できることが望ましい。編集スキルが特権化されることは情報発信の独占という点で望ましくないし、あまり難解になると何でもかんでもオマエが編集しろと言われかねない。

    以上3つと諸々の条件を勘案した結果、Amazon Route 53でドメインを取得して、Amazon Lightsail上にWordPressで構築することにした。WordPressのテーマは当初Twenty Seventeenを採用していたが、現在はyStandardを利用している。

    Amazon LightsailはAWSが提供しているVPS(Virtual Private Server)で、税抜き月$3.50~ から利用可能。なによりもこの料金の安さに惹かれた。同様のサービスでwordpressが使えるモノとなると最低でも月額550円くらいかかる。吉田寮公式サイトはそれほどのアクセス数もなく、一番安いプランを選んでも十分動くので、Lightsailの安さを存分に活かせた。VPSはレンタルサーバに比べてカスタマイズ性があること、AWSの各種サービスを利用できるというのも利点であると考えた。

    Amazon Route 53もまたAWS側が提供しているDNSサービスだ。DNSサービスとはIPアドレスとURLを対応させたり、新しいURLを発行させるヤツである。管理すべきアカウントを増やしたくなかったので、Lightsailと同じAWS上のサービスがよいだろうということで選んだ。yoshidaryo.orgの場合、年一回の登録&更新費用が$12、加えてアクセス数などによって変動する月々の費用が$0.5程度かかる。

    WordPressはブログ作るのによく使われるヤツ。これを導入することでどこかで見たことのあるようなサイトが誰でも簡単に作れる。wordとかとほぼ変わらない操作感で記事を書けるので、普通に使う分にはスキルはほぼ要らない。テーマとしては、堅牢性とサポートの継続性、テーマ本体のカスタマイズ性などを勘案して、当初はWordPress公式が開発しているTwenty Seventeenを採用した。後にカスタマイズ性の高い日本語テーマであるyStandardに移行した。

    そんなこんなで年間約$60でサイトを立ち上げることができた。あと、気になった事項を箇条書きで上げていく。

    • WordPress公式が提供しているテーマ一覧は英語用のテーマばかりで、はっきり言って日本語サイトを作る上では助けにならない。こう言うと、英語用・日本語用でどう違うかと思われるかもしれない。具体例でいえば、英語用のテーマでサイトを作ると何でもかんでもAppleのサイトみたくなるのだ(Appleのサイト自体はWordPressを使ってないみたいだが)。やたら画像を大きくしてやたらスクロールをさせる。そして英語ならいい感じになる体裁も日本語だと妙にダサくなるあの感じだ。WordPressのテーマを選ぶ時はまず日本語のものから探すべし。
    • SEOの難しさ。今でこそ”吉田寮”と調べれば検索結果の2位くらいにwww.yoshidaryo.orgが上がってくるが、サイトを公開してから半年ほどはかなり下位に位置していたし、旧公式サイトにも負けていた。SEO対策にやったことは
      1. 旧サイトが検索に引っかからないような設定をかける
      2. wikipediaやgooglemapにwww.yoshidaryo.orgを登録する。
      3. SEOに強そうなテーマを導入する
      4. サイトマップをつくる
      5. パンくずリストをつくる
      6. 常時SSL化する(CertBot)
    • 引き継ぎの難しさ。WordPressは簡単だとは言え、いろいろと設定しなければならないところも多く、口頭で説明しづらい。そこで、ドットインストールのように操作画面を見せながら説明する動画を撮った。今後引き継ぎをやるときは、こいつを見て貰えればよい。AWSの操作マニュアルはまだできていない。作らねば。