紫鼻のトナカイ

紫鼻のトナカイ

中井 燦人

昔、あるトナカイの村に鼻が紫色のトナカイがいました。紫色の鼻をしたトナカイなど村には他にいなかったのですが、鼻が目立つ順では2番目でした。赤鼻のトナカイというもっとずば抜けて派手な鼻のトナカイがいたからです。他のトナカイと鼻の色が異なる2頭はよく一緒にいました。

ある日のことです。赤鼻と紫鼻はきのこを売りに人間の町に来ていました。当時はトナカイの村に貨幣経済が導入され、人間や他の動物との交易が始まって間もないころでした(西暦1985年頃。)トナカイ達は人間の町に行くのを嫌がっていました。誰も人間のことを信用していなかったのです。こういうトナカイ達の嫌がる仕事は赤鼻と紫鼻の仕事でした。一つの理由は2頭が非常に病弱で人間的な重労働ができなかったためで、もう一つは他のトナカイの頼みを断ることができなかったためです。2頭はしゃべることが好きではありませんでした。赤鼻は特に無口でした。普段、きのこはほとんど売れず、2頭は村に帰っては他のトナカイ達に責められ、ボコボコにされるのですが、この日は違いました。きのこがすべて売れたのです。硬貨も袋いっぱい貰いました。2頭は口にこそ出しませんでしたが、大変喜びました。ところが村に帰ろうと村の門をくぐった時、虎挟みに足を引っかけられました。そのまま動けないでいると集まってきた人間たちに棒で打ち付けられ、金をすべて奪われてしまいました。2頭は村に帰りボコボコにされました。もちろん素手ではなく、棒で叩かれました。それは人間の町に行ってきた紫鼻や赤鼻には人間の体液がついている感じがして嫌だからでした。この日の後も紫鼻と赤鼻は何度も人間の町に行きましたが、強盗にあったのは今回だけでした。しかし、この出来事は紫鼻に大きな印象を残しました。2頭は良く一緒にいましたが、全く対等ではなかったことをここで断っておきます。赤鼻には紫鼻の他の友達はいませんでしたが、紫鼻には他にも友達がいました。村の中には明確に赤鼻が下、紫鼻が上という順位付けがありましたし、紫鼻も心のどこかで赤鼻のことを馬鹿にしていました。そういった点で二人の関係は非対称的なものでした。

西暦1988年の夏、サンタクロースがトナカイの村にトナカイたちを攫いに来ました。もちろんサンタクロース村で働かせるためです。サンタは物資の運搬にトナカイそりを利用しました。それが伝統的なやり方であり、しかも、化石燃料を使わないためCO2などの温室効果ガスの排出も抑えられるからです。サンタは4頭立てのトナカイそり2台で村にやってきていました。一つ目がサンタとその荷物用、二つ目がトナカイの輸送用です(捕まったばかりのトナカイが逃走を試みることを考えると走らせるより荷台に乗せたほうが効率的なのでした)。攫われるのは主に若いトナカイです。立派な歳であった赤鼻と紫鼻も捕まり、そりに載せられました。紫鼻は、やせ細ったトナカイの引くそのそりに載った時「もう故郷に戻ることは無いのだろうな」と何とはなしに思いました。

サンタクロース村に運ばれる荷台の上で紫鼻は横に積まれていたアレクセイという村で1番か2番かに優秀な若者と話しました。今まで紫鼻はアレクセイとほとんど話したことがなかったのですが、そりの上でアレクセイはかなり饒舌でした。曰く「君と赤鼻がいなくなって村は大変困るだろう。嫌な仕事を押し付けあって争いが生れるかもしれない。私の代わりにリーダーシップをとれそうなやつはヨシフくらいだが、あいつでは全然いけない。村のことが心配だ。」、「君と赤鼻を疎外することで村は連帯感を高め、秩序を保っていた。明確な目標の無くなった悪意はどこにいくのか。ヨシフに村の意識が統率できるだろうか。村のことが心配だ。」と。紫鼻はアレクセイのように言語化したことこそありませんでしたが、"同じようなことを今までも何となく感じていたように"思われました。そのため、紫鼻は他人事のようにすっかり感心して、「私も村のことが心配だ。」と言いました。このとき紫鼻はアレクセイの角の形が極めて美しいことに気付きました。アレクセイは言います「有史以前、能力の低いトナカイには天敵に襲われた時のしんがりという役割があったが、恒温動物平等化以降はそんな役割は必要なくなった。君は新しい時代のしんがりだったのだろう。」こういってアレクセイは紫鼻の前足に接吻しました。アレクセイは続けて言いました「欲を言うならもっと嫌な奴であって欲しかった。嫌な奴なら罪悪感を抑えることができて良い具合だった。」と。アレクセイは口から出まかせを言うのが好きでした。紫鼻はアレクセイに滅茶苦茶なことを言われて大変納得していました。これは「自分より立場の高い者の言葉には納得しやすい」という法則の具体例でした。

サンタクロース村についた紫鼻は材木を運ぶ仕事をさせられました。サンタは特定の裕福な親を持つ人間の子のために玩具などの贈り物を購入し、クリスマスの日に配達する事業の他に、クリスマス以外の時期には縫製と食肉加工と材木生産の事業を行っていました。サンタクロース村ではトナカイの他にサンタが世界中から攫ってきた人間の子が働いていました。人間の子は少ない休憩時間の間「トナカイを使って」遊んでいました。サンタは子供たちに「トナカイを使って」遊ぶことを推奨していました、アレクセイ曰くその狙いは2つの集団の分断にありました。ちなみにサンタクロース村にサンタを除いて人間の大人はいませんでした。サンタは当然、大人を攫ってきませんし、連れてこられた子は大人になる前に過労や病気で死んでしまうか、サンタに食べられてしまうかのどちらかだからです。サンタは「完全に使い物にならなくなった子」しか食べませんでした。これは子供を食べるのが大好きなサンタが自分を正当化するために必要なことだとアレクセイは分析していました。

紫鼻をはじめトナカイ達はサンタやサンタクロース村についてのことの多くをアレクセイから聞いて学びました。彼は自分で自分に自分が集めた情報をトナカイ達に教える役割を課していました。アレクセイはサンタのそりを引いていたので他のトナカイよりも色々知っていました。サンタクロース村は存在しないため、他の人間たちには見つからないとういこと。サンタはよく働き、サンタクロース村のすべての仕事のうち半分以上を一人でこなすこと。彼が睡眠や休憩、食事を必要としないこと。(彼は超人でした)などは全てアレクセイが教えてくれました。「クリスマスにサンタクロースのそりを引いたトナカイは例外なくその日内に死ぬ」ということもアレクセイが教えてくれました。アレクセイは「クリスマスまでにトナカイで革命を起こさないといけない」と言っていました。他のトナカイ達に情報を与えることには革命のための準備という意味が与えられました。

紫鼻は革命に全く興味がありませんでしたが、アレクセイの話を真面目に聞いていました。サンタの最大の資金源は彼が盗みで得た金でした。彼は世界中の誰よりも泥棒が上手で、彼は世界中で大仏から小銭まで何でも盗みました。しかし、彼は警備の厳重な場所では盗みませんし、強盗もしません。警備の薄いところだけで十分資金は賄えるのでした。アレクセイはサンタがとある本を盗むときに死にました。

赤鼻と紫鼻がサンタクロース村にやってきた西暦1988年のクリスマスの日、午前0時頃のことです。サンタクロース村のトナカイ達が集められサンタの話を聞いていました。クリスマスの間にそりを引く屈強なトナカイ達は小高い丘の上に並んで立っていました。なぜか1頭だけネズミみたいなトナカイ、赤鼻も丘の上でした。サンタはトナカイ達に言いました「お前らトナカイは役立たず、ゴミだ。直ぐに死んで使い物にならなくなり、ひどいときは病気になることもある。休憩や労働の対価を要求する。ただ赤鼻のトナカイ、お前はまだ役に立つゴミだ。そりを引く力はカスだが、暗い夜道はお前の鼻が役に立つ。今日はお前がそりの先頭だ。」赤鼻は雑魚みたいな仕事ではありますが、やっと自分にしかできない仕事を与えられました。その上、今日中に死ぬことができます。当然喜んでいました。対照的に紫鼻は力が弱く全く何の役にも立たなかったためか、村に返されることになりました。これは異例のことでした。でも使えないトナカイがいても仕方がないですし。クリスマス配達の出発までに少し時間があったので、赤鼻は紫鼻のところに駆け寄って来て「さようなら」と言いました。紫鼻はしばらく何も言うことができず、小声でぶつぶつ言った末にやっとのことで「もう会わないね」と言いました。そのまま割合あっさり分かれて、紫鼻は村の方角へ、赤鼻はサンタのもとへ歩き始めました。サンタは自分のもとに来た赤鼻の首を掴み、何かを食べさせました。

紫鼻のトナカイは何日も歩いて故郷の村に帰りました。アレクセイの予想は大体当たっていました。しばらくの間に村のトナカイ関係は一変していました。当然紫鼻の居場所はありませんでした。そもそも居場所があると思っていたこと自体錯覚でしたが。しかし、紫鼻は群れの新参者の少し年上のトナカイ、ロジオンと仲良くなりました。ロジオンは紫鼻に「私の元居た群れのトナカイを紹介したい、きっと馬が合う」と言いました。

紫鼻は特に何の感動もなく村を去りました。ロジオンから紹介されたトナカイは過激な活動家でした。紫鼻は何となく一緒に道草を食ったりしました。そして気が付いたときには過激派の一員になっていました。紫鼻は普段は無口でしたが、初対面のトナカイを党に勧誘するときには信じられないほど饒舌になりました。党員達は紫鼻の埋もれていた才能に気づき、紫鼻にオルグを任せるようになりました。紫鼻は非常な熱意をもって活動し、トライ&エラーの中で、紫鼻は馬心理についてのいくつかの驚くべき定理を発見しさえしました。党で生活していくうちに紫鼻は年を取りましたが、もはや病弱ではなくなりました。紫鼻が村を移して5年がたった頃、紫鼻は彼が勧誘した党員達の支援もあって、自然と過激派の幹部になっていました。そして、紫鼻はサンタ暗殺計画のリーダーになりました。

西暦1996年の夏のことです。サンタが紫鼻のいる群れにトナカイを攫いに来たとき、紫鼻はサンタを家に招き入れました(この群れでは家に住んだり2足歩行したりと人間に近い暮らしをしていました、また、犬も飼っていました)。サンタが椅子に座ると虎挟みがサンタの足を捉え、サンタの左右後方に立っていたトナカイ達によってサンタの両手が串刺しになりました。サンタは無表情のまま動きません。紫鼻は机に立ち上がり、剣を天高く持ちあげました。周りのトナカイ達は声の限り叫び、天災のような轟音を生み出しました。革命の時が来たのです。紫鼻がサンタの胸を突き刺し、頭に向かって切り上げようとした瞬間、紫鼻は意識を失いました。

目を覚ますと紫鼻のトナカイはすべての脚を紐で束ねられ棒に吊るされていました。下にはキャンプファイヤーの炎があり、周りをトナカイ達に囲まれていました。紫鼻が目を覚ますとサンタの合図でゲームが始まりました。それは紫鼻を囲う半径4mの円状に並んだトナカイ達が順番に紫鼻に向かってナイフを投げ、紫鼻を炎に落とした人が高級車を貰えるというゲームでした。ほとんどのトナカイ達は紫鼻の脚ではなく胴体を狙いました。それがこのゲームをもっとも楽しむ方法だったからです。トナカイが一通りナイフを投げ終わる前に、順番を無視して石を投げるトナカイが現れました。先駆者の登場によってトナカイ達は一斉に石を投げはじめました。そして遂に紫鼻は炎の中に落ちました(誰かが落とした訳ではないので景品の話は消えましたが、これは全くどうでもいいことでした)。そこでサンタは投石器と化したトナカイ達を静止し、上半身にひどい火傷を負いながら炎の中から紫鼻を拾い上げて机の上に安置しました。サンタは聖人でした。サンタが机の上で紫鼻にとどめを刺したその瞬間、1匹のトナカイがサンタに背後から飛び掛かり、倒しました。加えて、蹄鉄で踏みつけて、サンタをぐちゃぐちゃにしました。そのトナカイがサンタの破片を炎の中に放り込むと周りのトナカイ達はナイフや石を投げつけました。これでサンタは死にました。サンタは聖人でした。

このトナカイこそあの赤鼻のトナカイでした。赤鼻はサンタに食べさせられた気持ちの悪い物で超人的な力を得、クリスマスをはじめて越したトナカイとなり、若さを保ったままずっとサンタのもとで働いていたのでした。その後赤鼻と他のトナカイ達はサンタクロース村に行き、残っていた子供たちを踏みつぶして、トナカイの村を作りました。この村は赤鼻村と名付けられました。今でもトナカイの化け物たちがそこで暮らしているそうです。案外つぶれているかもしれませんが。

1996年の夏までサンタは確かに存在していました。サンタクロースは幻想ではなく現実です。しかし死にました。よってサンタがプレゼントを運んでくるとかいうのは嘘っぱちです。

[この物語はフィクションです。]ちゃんちゃん